
恐竜とは、中生代三畳紀に地球に現れた爬虫類のグループの一つです。爬虫類であり ながら、体温を保ち、直立歩行をしていたと考えられています。では、どのようにこの恐竜が今日の私たちに知られるようになったのかを見ていこうと思います。
「恐竜」とは日本語であり、英語では「Dinosaur」です。当然ですが時系列でみるとDinosaur(以下「ダイナソー」という)の方が先です。ダイナソーという言葉は、大英博物館初代館長であるリチャード・オーウェン博士によって1841年に作られた造語です。彼がダイナソーという言葉を作ったことにより、広く世界中に知れ渡り研究が進んでいきました。では、なぜ彼はこの言葉を作ったのでしょうか。それは、ダイナソーがそれまでにに知られていたどの爬虫類にも見られない特徴を有していたからです。
1841年までに発見されていた恐竜はイグアノドンやメガロサウルス、ヒラエオサウルスの3種類だけでしたが、これらの化石から言えることはすでに絶滅しており非常に巨大で、陸上に生息していた爬虫類であるということです。これらの特徴に加え、オーウェン博士はダイナソーの後脚が腰から真下に下りていること、つまり他の爬虫類と違い直立歩行をしていたということに気づいたのです。このような特徴を持つ爬虫類のグループは1841年時点では認知されていませんでした。そこで、彼はこのグループをギリシャ語で“恐ろしいほど大きい”という意味の「deinos(デイノス)」と“トカゲ”を意味する「sauria(サウリア)」から「dinosauria(ディノサウリア)」と名付けたのです。これは正確には分類群(専門用語)であり、一般的には「dinosaur(ダイナソー)」と呼ばれることになります。そして1851年 にロンドンで開催された第1回国際博覧会の会場として建てられたクリスタル・パレスにてダイナソーという言葉とともにそれらの復元模型を一般公開し、学者だけでなく世間一般の人々にも周知したのです。
日本では1887年(明治20年)頃に認知されはじめ、1895年に横山又次郎博士が著した「化石学教科書(中巻)」の中で、はじめて「恐龍」と訳されました。”恐ろしいほどに大きなトカゲ”を”恐ろしい龍”と意訳したのです。他の学者によって”恐ろしいトカゲ”という意味で「恐蜥(きょうせき)」や「恐蜴(きょうえき)」と訳されたものもありましたがそれらは語呂合わせが悪いのか、日本人のイメージと合わないのか広く普及しませんでした。結果として日本では恐龍が定着し、今日では恐竜となっています。なぜトカゲではなく竜と訳したのかは定かではありませんが、彼の出身地長崎で有名な龍踊(じゃおどり)や龍舞がヒントになったのかもしれません。現に恐竜が認知される前の人々は恐竜の化石を見て大昔にいた巨人やドラゴン、龍だと思い恐れていました。あながち間違った訳でもないのではないでしょうか。
オーウェン博士が国際博覧会で公開した復元模型は現在知られているものとはかけ離れていましたが、発見された僅かな化石から特異な特徴を見出しそれらのグループを「dinosaur」と定義したことは非常に学術的に重要なことでした。これにより、研究が進み巨人やドラゴン、龍と恐れていた生き物がダイナソーとして認識されるようになったのです。そして日本では、横山博士が「恐龍」と訳さなければ私たちが今日使っている恐竜という言葉はなかったのかもしれません。彼らの偉業をたたえましょう。